二月十四日
今年のバレンタインの話
「北くんにはこれ、どうぞ」
そう言って母親と同世代くらいの同僚の女性から、チョコレート味のプロテインバーが差し出される。
「わあ、ありがとうございます、いいんですか頂いて……」
見れば最近発売された有名なメーカーのものだった。誕生日でもないのに、こんな良い物を貰うなんてなんだか申し訳ないなと思ったが、お礼を言ってからすぐにその意図に気が付いた。
「あ、そういえば今日はバレンタインデーでしたね」
「そうそう、みんなにはチョコレートを配ってるんだけど、北くんはこの方が良いでしょ」
言われてみれば、さっき駅長が小さな箱に入ったチョコを食べながらコーヒーを飲んでいるのを見かけた。
「いつもお気遣いいただいてすみません、ありがとうございます」
彼女は、バレンタインなのに一人だけ何も無いなんて寂しいじゃない、と笑って言う。息子さんが同じような年齢だから、つい僕のことも気に掛けたくなるそうだ。
「北くんに本命を渡したい子は糖質のこととか考えないといけないから大変よねえ、北くん男前で優しいし、モテるでしょう?」
「モテるだなんて……でも、僕はいまアイドルだから、本命だったらチョコじゃなくても受け取れないんですよ」
そう言ってわざとらしくウインクをして見せると、彼女は「さすが田端のアイドルね」と嬉しそうに小さく拍手をする。母親もそうだが、どうしてかこの年代の女性は喜ぶときにこういう動作をするなあと思った。
「じゃあ僕はお先に失礼します」
リュックを持って声をかけると、彼女は自分用で持ってきていたのだろうか、大袋のチョコレートを開けて食べ始めていた。
「お疲れ様、また明日ね……おいしいわ、やっぱりこれ好きねえ」
飾らないその姿に、自分の母親の姿が重なる。実家にいた頃は妹と母が作ったチョコレートを食べるのがバレンタインの楽しみだった。普段はほとんど甘い物を食べないが、可愛い妹が作ってくれた手作りのチョコとなれば話は別だ。カラフルなスプレーが乗った、小さなアルミカップに入ったチョコレート。ギンガムチェック柄の袋に入って、一生懸命に蝶結びをしてくれたリボンがとても愛らしかったな、と当時のことを思い返す。今年も家族で食べるためにチョコを作っているんだろうか、どうしてもスケジュールの都合がつかなくて、一緒にいられないのが残念だ。
普段は仕事が終わると駅から家まで徒歩で帰るが、今日はそのまま京浜東北線に乗り込む。夜にドラマの撮影があり、自分の家から向かうより湊さんの家から行く方が近いので、少し寄らせてもらうことになっていた。そうだ、浜松町駅に着いたら家族に電話をしよう。少しだけでも、元気な声が聞けたら嬉しいから。
「北くんおかえりなさーい! ハッピーバレンタイン!」
「お疲れ様です……って、すごいもの作ってますね」
湊さんのマンションに着くと、リビングでは大崎さんと湊さんが市販のお菓子を組み合わせてお菓子の家を作っていた。土台はカステラだろうか、レンガのようにビスケットが重なり、板チョコの屋根からはお菓子で出来たきのことたけのこが大量に生えている。
大崎さんが、キッチンから僕のエプロンを持ってきてくれた。
「あのね、お菓子の家だよ! 僕、屋根にいっぱい飾り付けしたんだ」
自慢げに屋根を指差す。端正な顔のあちこちが、生クリームで汚れていた。ティッシュを取って拭ってあげようかと思ったが、全部終わる頃にシャワーを浴びた方が良さそうだ。見れば湊さんの鼻先にも白いクリームが付いている。
「北くんも一緒にやろうよ、チョコスプレーかけるの楽しいよ!」
そう言って大崎さんはカラフルな色がぎっしり詰まった袋を差し出す。僕がそれ受け取ると、二人とも嬉しそうに笑った。袋を開けて傾ければ、ざらざらと細長いチョコがお菓子の家に降り注ぐ。その隙間を埋めるようにして、大崎さんが星形のお菓子を屋根の上に置いた。
はにゃらら らら らんらんらん、と湊さんが鼻歌でバレンタインソングを歌っている。随分と昔の歌だが、湊さんの車に乗っているときに流れる曲なのでよく知っているメロディだ。窓の外では粉雪が舞い始めて、まるで手元で降り注ぐ粉砂糖のように浜松町の街を白に染めていく。
「ねえ、二人ともこっち見て」
湊さんがスマホを構えて、最後の仕上げをする僕と大崎さんを撮影し始めた。僕は何だか気恥ずかしくなってしまい、控えめにピースをする。アイドル活動をしているとはいえ、カメラを向けられるのは未だに慣れない。
「二人ともかわいい、俺も一緒に写っちゃお」
そう言って湊さんはインカメラに切り替えて、僕たちの横に並ぶ。三人で写るとうまく画角にお菓子の家が入らないようで、スマホを縦にしたり横にしたり試行錯誤していた。大崎さんは、全員写るようにもぞもぞと動いていたが、はっと思い付いた表情をして僕と湊さんの腕をぎゅうと抱き寄せて、そのまま顔の近くで両手でピースした。
「あはは、良いね、何枚か撮るよー」
カシャカシャとシャッター音が鳴るたびに、大崎さんと湊さんは少しずつポーズや表情に変化を加える。僕も二人ほどではないが、ちょっと視線を変えてみたり、口角を上げてみる。一通り撮り終えて湊さんがアルバムを見ると、二十枚ほど写真が保存されていた。
「どれ載せちゃおうかな」
「ちょっと僕たち距離が近すぎないですか?」
「加工でハートとか散らせば大丈夫でしょ、バレンタインっぽく」
「バレンタインだから仲良しの写真です、って書いて載せましょう!」
「バレンタインじゃなくても仲良しだもんねぇ」
湊さんはそのまま写真を加工し始める。大崎さんも自分のスマホを取り出してお菓子の家を撮ろうとしていた。僕も家族に写真を送ろう。そう思ってスマホを見ると、ロック画面にはそろそろ次の現場に向かわなければいけない時刻が表示されていた。
「北くんはもう出る時間?」
「はい、あと十分くらいしたら」
そう言いながら何枚か写真を撮る。ふと、そういえばこの大量のお菓子で作られた家をどうやって消費するつもりだろうか気になった。大崎さんと湊さん二人で食べきれるのだろうか、もう夜も遅いというのに。
「俺、車出すから送っていくよ、そのあと饗庭くんたちも拾わなきゃだし」
「饗庭さんたちとお約束が?」
「うん、大崎くんと一緒にこんなにいっぱい食べられないよ~って泣きついたらChe bello!のみんな来てくれることになったの」
「今日は湊さんのおうちでユニットのみんなと一緒にお泊りです!」
「みんなは泊まらないかもしれないけど、大崎くんはお泊りしようねえ」
二人は楽しそうに後片付けと、家を出る支度を始める。結局、集まるのもそれなりの年齢になった男性ばかりなので、お菓子の家を前に苦戦することになるのではと思ったが、水を差すのも野暮なので何も言わずにおく。きっと撮影が終わる早朝ごろには電車も動いているから、車じゃなくてもここに帰って来られるだろう。たまには糖分を取るのも体のためには必要なことなので、戻って来たら少しだけ、僕にも分けてもらおうかな。